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塩のことをもっと知ろう 塩についての基礎知識や歴史、健康との関係性などをご紹介。

日本の塩づくり(1/2)

塩の達人・理論編

世界で生産されている塩のうち、最も割合の多いのは岩塩で、塩全体の4割近くを占めています。しかし、日本には岩塩や塩湖などがないため、昔から、海水だけが塩づくりの原料でした。海水から塩をつくっている国なら、他にもたくさんあります。しかし日本の場合には風土の事情から、他の国々にはない塩づくりの苦労がありました。

世界の海塩は、そのほとんどが「天日製法塩」といわれるものです。これは、海水を広大な塩田などに引き込み、太陽の力で水分を蒸発させて塩にするもの。しかし、日本は土地も狭く、雨が多くて湿度が高いためにこの方法は使えません。岩塩もなく、天日塩もダメ。となると、残るは海水を煮詰めて塩を取り出す方法です。

岩塩 天日塩
海水中の塩分はわずか3%。1リットルの中に、塩は30g程度しか含まれていません。これをただ煮詰めて取り出すのでは、大変に効率の悪い塩づくりになってしまいます。
いかに少ないエネルギーで、海水中の塩を効率的に取り出すか。これが、常に日本の塩づくりの大きな課題だったのです。

そしてこの課題に対して、さまざまな製塩法が考え出されてきました。

世界の資源別の塩の生産割合

世界の大部分の塩は、岩塩か、海水による天日製塩法によってつくられています。日本の製塩法はそのどちらにも属さず、「その他」の2%に分類されています。

日本ならではの塩づくりの歴史

日本独自の塩づくりの方法は、大きく2つのステップに分けられます。まず、なるべく多く海水の水分をとばして、「かん水」と呼ばれる濃い塩水をつくる。これが「採かん」という第1段階です。このかん水を、煮詰めて塩として取り出すのが第2段階で、これを「煎ごう」といいます。歴史をたどると、この方法がだんだんと洗練されてくるのがわかります。

※1

藻塩焼き

日本で最も原始的な製法は、海藻を使った塩づくりでした。詳しい方法は謎のままですが、干した海藻に海水をかけてかん水を採り、土器で煮詰めて塩にしたのではないかといわれています。藻塩焼きに使われていた土器は、弥生・古墳時代を中心に、全国各地の海岸部でたくさん出土しています。

揚げ浜式塩田

約1200年前(平安時代)にはすでに行なわれていた伝統的な製法。水が染み込まないように固めた「塩浜」に、人力で運んできた海水を繰り返しまいて天日乾燥させ、塩分をたくさん含んだ砂をつくります。次に、砂に付いた塩分を海水で洗い流してかん水を採り、釜屋とよばれる小屋で煮詰めます。能登半島の一部では現在でも行なわれています。

図:揚げ浜式塩田
  • ※2潮汲み
  • ※3撒潮
  • ※4かん水採り
  • ※5煮詰め

※6

入浜式塩田

潮の干満差を利用して、塩田に海水を引き込む製法。碁盤の目のように引かれた浜溝から海水が塩田全体に広がり、毛細管現象によって砂の表面にしみ出すので、塩分を多く含んだ砂ができます。これを集めて沼井(ぬい)に入れ、上から海水をかけてかん水をつくります。入浜式の製塩は、約500年前(室町時代末期)にはすでに行なわれており、以来、昭和30(1955)年頃まで、約400年間にわたってさかんに行なわれました。

図:入浜式塩田
入浜式塩田

枝条架

流下式枝条架式塩田

昭和20年代後半から入浜式塩田に代わって導入され、昭和30年頃から昭和46(1971)年まで行なわれました。まず、ポンプで汲み上げた海水を、ゆるやかに傾いた塩田に流します。塩田をゆっくり移動して乾燥してきた海水を、竹の枝を組んだ「枝条架」の上からしたたらせ、太陽と風で水気をとばしてさらに濃縮させます。陽射しの弱い冬でも安定生産でき、砂を動かす重労働も必要ないため、入浜式塩田と比べて生産量は2.5倍~3倍と大幅に増加し、労力は 1/10になりました。

図:流下式枝条架式塩田

※1-6 写真提供:たばこと塩の博物館